常識がもたらす弊害:大市民の「百戦危うからず!」

常識がもたらす弊害

今の世の中、悪い意味での「常識」が蔓延していませんか?

今の「常識」は昔と違って、「固定観念」という意味合いが強いように感じます。

そして「常識」というのは時代とともに変化していくものですが、その時代を生きている当の本人はそのことには気付かないものです。

例えば、お金には価値があると誰もが思い込んでいるだろうと思います。

私は以前に日銀の見学をしたことがあるのですが、その時に模擬1万円札の束を40億円分積み重ねて展示していたコーナーがありました。

それを見た見学客が、目をキラキラさせながら溜め息を漏らすのです。

その後に質疑応答の時間があり、私は日銀の人にこう質問しました。

「1万円札の製造原価って、一枚いくらなのですか?」

その時の回答は、確か20円程度だったように記憶しています。
まあ、紙に印刷しただけのものなので、そんなものでしょう。

じゃあなんで皆、原価20円程度の紙切れが「1万円」だと思うのか?という話です。

例えば「ダイヤモンド」とか「金(GOLD)」だったら、資産価値があるのはわかります。
なぜなら、この地球上に存在する数に限りがあるのだから。

また、高級腕時計や高級車に資産価値があるのも、まあ理解は出来ます。
それを作るのに多額のコストがかかっているのだから。

でも1万円札なんて刷ろうと思えばいくらでも刷れるし、原価だって20円程度です。

つまり、1万円札に本当に1万円の価値があると思うこと自体が幻想であり、「固定観念」そのものということになりませんか?

まあ、確かに1万円札が1枚あれば1万円分の買い物が出来るし、1万円分のサービスを受けることが出来ます。

少なくとも今はね。

けれども、1万円札そのものが単なる紙切れである以上、いつその価値のバランスが崩れてもおかしくありません。

その例の一つに、第一次世界大戦後のドイツで起こった「ハイパーインフレ」があります。

第一次世界大戦後、ドイツは連合国側から天文学的な多額の賠償金支払いを課されました。

その支払いのために、ドイツ政府は紙幣の大量印刷をしたのです。

しかし、なんら裏付けのない紙幣乱発は、歴史上例を見ないハイパーインフレを発生させてしまいます。

毎日のように商品の価格が加速度的に上昇し、貨幣の価格が下落していったのです。

例えば、喫茶店でコーヒーを飲むのにトランク一杯分の紙幣が必要だったのが、飲んでいる間にインフレの進行で価格がトランク二杯分になったというのは、笑い話ではなく実際似たようなことがあったそうです。

ほんの90年くらい前に、しかも先進国のドイツでそんな出来事が実際にあったのです。

なら、例えばこれから死ぬまでに40〜50年あるとして、その間に日本でも同じようなことが絶対に無いとは言い切れないと思いませんか?

でも、そんなことを人に言っても、「まさかそんなこと、常識的に考えてもあり得ないだろう」と言われるのがオチでしょう。

毎日朝から晩まで一生懸命働いて、その対価として原価20円程度の紙切れを20枚もらって日々の生活を送っている。
これが世間でいうところの「常識」なのだから。

・・・ということで、今回は「常識」繋がりの話です。


メール講座 「凡人が巨富を生み出す方法」 第3回

目次
1.非常識的思考のススメ。
2.雑談〜人生最大の“賭け”とは〜。


1.非常識的思考のススメ。

今回は、“常識という思い込みがもたらす弊害”をテーマに書いてみることにします。

前回のメールで、「継続する力だけあれば、富を得ることは出来る」と書きました。

しかしながら、現実的にはこれが意外と難しい。
その理由は、あなたのアタマの中に“常識”というものが根付いているからです。

億単位の資産を築くためには、この“常識”というモノを、あなたの頭の中から取っ払わなければなりません。

そうしなければ、例えあなたがFX投資をしたとしても遠回りするハメになってしまうか、あるいは一生財を築くことなく人生を終えてしまうことにもなりかねません。

「1億総中流社会」の政策を歩んできた日本では国民のほとんどが一種の洗脳を受けており、資産を築くためには、とにかく頑張って働くしかないと思っています。

つまり、お金は労働の対価として得るものだと思い込んでいるのです。

だから、楽して稼ぐなどという思考は微塵も無く、そんな人間はロクなモノではないとさえ思う人も大勢います。

そんな土壌だから、投資に対しても「怖い」とか「山師」のようなイメージを持っているし、努力もしないで資産を増やすなど、思いつきもしないことでしょう。

しかし、それを可能にするのが「複利の力」と「時間」なのです。

要は、お金がお金を生む(増殖する)という考え方であり、逆に、この考え方以外で大きな資産を築くことなど出来ないと言い切ってもいいくらいです。

そもそも、なぜ資産を築くためには投資が必要不可欠なのか?

例えば年収800万円の人が生活費を出来るだけ節約し、頑張って毎年500万円貯金したとすれば、10年間で5000万円貯まる計算になります。

一方、年収300万円の人が貯金は一切せず、なけなしの50万円を使って年利60%が期待できるFX投資をしたとします。

そうすると、単純計算すれば、

1年目・・・80万円
2年目・・・128万円
3年目・・・205万円
4年目・・・328万円
5年目・・・525万円
6年目・・・840万円
7年目・・・1,344万円
8年目・・・2,150万円
9年目・・・3,440万円
10年目・・ 5,504万円

となります。

ちなみに年収800万円の人は毎年500万円貯金するので、実質的には年収300万円の人と同じ生活水準です(税金は無視するものとして)。

そしてどちらも10年間で約5,000万円貯まる計算になりますが、注目すべきはその後です。

11年目・・8,806万円
12年目・・1億4,090万円
13年目・・2億2,544万円
14年目・・3億6,070万円
15年目・・5億7,712万円


さすがにここまで一人でやるには無理があるかもしれませんが、ある程度まで元金が膨れ上がれば加速度的に資産を増殖していけるのがFXの利点でもあります。

昔からよく言うでしょう。

「お金持ちほど、お金が集まる」と。

あの現象をリアルに体現出来るのが、FXの醍醐味なのです。

だから私は「仕事が忙しくて投資する時間が無い年収1000万円の人」より、「月収15万円のアルバイトだけど、時間にはある程度融通がきく人」の方が億万長者になれる可能性が高いと思っています。

でも、そんなことを人に言えば、

「なにをバカなことを!オマエは“非常識”なヤツだな」

と言われるのがオチです。

けれども、常識の範囲内でしか物事を考えることができない人は、常識的な資産しか築くことが出来ません。

常識を越えた資産を築くことなど、絶対に出来ないのです。

そして、「努力しないとお金持ちになれない」というのも世間の“常識”です。

「一生懸命働かないと裕福な生活は出来ない」とか、「少なくとも2〜3年くらい勉強してからでないと、FXは勝てない」とか。

こういうのも、呆れるくらいに“常識”に毒された考えです。

いや、本当のことを言うと、努力は必要です。
“努力をしない”という努力がね。

あと、“勉強をしない”という努力も必要かもしれません。

いずれにしても、私がこのメール講座であなたに伝えたいのは「全く努力しないでお金持ちになる方法」なのだから、あなたにはそういう考えを持ってもらわないといけません。

今回、縁があってこのメールを読んでくれているあなたは、もしかしたら世間でいうところの「負け組」かもしれません(違ってたら失礼)。

でも私はこう言いたいのです。

「アンタ、安月給で将来が不安で藁にもすがる思いでこのメールを読んでるって?そりゃおめでとう。金持ちだったらこんなメール講座、読むワケないもんな。」

財を築くための「思考法」を身に付けること。
それはもう、宝くじで3億円当たったくらい、あるいはそれ以上の価値があります。

そしてその「思考法」を身に付けるためには、まずあなたの頭の中にある「常識」を捨て去る必要があるのです。


3.雑談〜人生最大の“賭け”とは〜。

前々回のメールで、「人生自体が“博打”のようなもの」という話をしたのを覚えていますか?

じゃあ、人生における最大の“賭け”とは一体何か?

そんな自問をしてみた時、いろいろ考えを巡らすのですが、どうもピンと来るものがありません。

就職?
結婚?
家を買うこと?
永住の地を決めること?
あるいは、人生において投資をするか否か?

どれも人生の転機になるものではありますが、「人生最大の賭け」と言えるほどではない気がします。

なぜならそれらは、たとえ選択が間違ったとしてもやり直しがきくし、その選択によって人生が決まってしまうほどのインパクトがあるようには思えないからです。

では、人生の存在意義そのものを変えてしまうような、最大の“賭け”とは何か・・・?

いや、そもそもそんなものが、存在するのでしょうか?

そんなことに漠然と思いを馳せていた時に、目からウロコの回答を哲学者であるパスカルが提示してくれました。

「人間は考える葦である」という言葉で有名なフランスの哲学者パスカルは、その著書「パンセ」の中で、「賭けの精神」の必要性について述べています。

例えば「死後の世界はあるかないか」の選択をしなければならない場合、それは究極の賭けだと彼は言うのです。

なぜならそれは、死んでみなければ絶対にわからないことだし、またどちらを選ぶかによって、その後の生き方が大きく変わってくるからです。

パスカルはこの選択をする時、非常にわかりやすくて現実的な問いかけをしてくれます。

それは、どちらかを選ばなければならないのなら、どちらの方が私たちにとって利益が多いかを考えてみよう、というのです。

「死後の世界はない」の方に賭けて、死んでみて死後の世界がないとしたら、ただそれだけの話です。

けれども、死んだ後にもし本当に死後の世界があったとしたら、それは賭けに負けたことになるし、何よりいろんな意味で大変です。

それに対し、「死後の世界はある」に賭けて、勝負に勝ったらこれはもう丸儲けです。

しかも負けたとしても、つまり死後の世界などなかったとしても、何も損はしません。

であるならば、ためらわずに死後の世界がある方に賭ければいいじゃないかとパスカルは言うのです。

これを読んだ時、私は少なからず衝撃を受けました。

普通、死後の世界があるかないかを論争する場合、それは宗教的な思想によって判断が分かれるものです。

ところがパスカルはどちらを選択すれば利益が多いか、つまりはどっちに賭けるのが合理的かという判断基準で、この問題を解決してしまったのです。

私に関して言えば、死後の世界などあるワケ無いと思っていたし、人間だろうが動物だろうが植物だろうが、死ねば無機質な物質になる、つまり土に還るだけだと思っていました。

そして死後の世界を本気で信じている人のことを、心のどこかでバカにしていたかもしれません。

「コイツ、なんて非科学的で非論理的なんだ」という具合に。

でも、何という事でしょう。
パスカルからしてみれば、私の方が非論理的なバカだったというわけです。

人生における最大の“賭け”が死後の世界の有無であるかどうかはともかく、人生においては“賭け”が必要不可欠であり、そこを回避して生きていくことは出来ないのは間違いないところです。

「賭けの精神」の必要性を説くパスカル。

“賭け”というと私たちは何だか悪いイメージを持ってしまいますが、“賭け”を人生で何度か訪れるターニング・ポイントにおいて何を選択すべきかの技術と捉えれば、なるほど「賭けの精神」の必要性がわかる気がします。

つまり“賭け”とは今、自分にとって何がもっとも良い将来を期待出来るかを選択することである。

だから、FX投資をすることは博打ではなく、人生を“賭け”ているのである。

そして、それに賭けたのであればやるべきことだけをやって、あとは天命を待つしかない。

なぜならそれが“賭け”というものなのだから。

まあ、死後の世界があるかどうかは死んでみないとわかりませんが、あなたがFX投資に人生を賭けた場合、10年後には結果が出ていることでしょう。


さて、今回は以上です。

次回はFX投資というものについて、その本質的なところを書こうと思います。

それではまた。

| 2016年09月09日メール講座「凡人が巨富を生み出す方法」 このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

管理人

管理人:大市民
パチンコ歴25年以上で、生涯収支は数千万円オーバー。
最近では50以上のパチンコ商材を購入し、このブログの実践だけで800万円以上の収支を計上。
その後FX投資に移行し、1億円の資産構築を目指す。
FX歴は約5年。収支が累計5,000万円を越えた時点で会社を設立。
トレ−ドは完全ルール化して社員(身内)に引継ぎ、私は役員報酬だけ貰って隠居生活。当ブログだけが生きがいである。